【講座開催日】令和元年 5月12日・19日・26日

   5月12日・19日・26日(各日曜日)研修室4  応募者46名、受講者40名、延べ100名で、講師は歴史研究家の
大関直人氏。
                          

第1回目は、日本の「中世」とはどのような時代か ~通史的理解と諸史料の紹介~
「中世」はどのような時代であったのか「時代区分(四区分)」では「古代」・「中世」・「近世」・「近代」となり、古代と近世の間に時代、封建前期と位 置付けられる。「中世」の開始時期については、定まっていないが、通説的には「十二世紀末の鎌倉政権の成立期」・「十二世紀半の後期院政期」を始期としている。「終末」は「十六世紀後半」の「室町幕府の滅亡を経た織豊政権の成立」を下限とすることが定
説となっている。
すなわち、「院政期→鎌倉時代→南北朝時代・室町時代→戦国時代」までの 約四百年が日本における「中世」と位置付けることができよう。さらに、中世の特徴、中世国家論について解説された。
歴史学における「史(資)料」とは、史料は文字で記された記録。史学研究のための材料となるものを総称して史料という。資料は物質的で遺物・遺跡など歴史を叙述する上で根拠となるものをいう。

           

第2回目は院政期から鎌倉時代~激動の時代を九条兼実に見る『玉葉』『吉記』~
【玉葉】にみる「源頼朝」、「藤原秀衡」、「北条時政」、「後白河院」等の人物評、源氏三代将軍(初代源頼朝、二代 源頼家、三代 源実朝)の人物(容貌・肖像画)について豊富な史料により詳細な解説があった。

第3回目は南北朝から室町時代~伏見宮貞成親王の生涯『看聞日記』等~
南北朝の分立 1336年 北朝 足利尊氏、光明天皇(持明院統)擁立 1338年尊氏、征夷大将軍に任官→弟義と政務分担 南朝 後醍醐天皇、吉野で皇位の正統性を主張。1392年南北朝の合一九州探題今川了俊により、九州の南朝勢力衰退。南朝の後亀山天皇から、北朝の後小松天皇に譲位、→南北朝動乱が終結。
後崇光院は室町時代前期の親王で伏見家第三代の当主。四十五歳の貞成親王は、か
の『看聞御記』の筆を起こし、文安五年(1448)四月に閣筆するまでの三十余年間書き続ける、この日記が、同時代の社会の解明にいかに貢献したかについては多言不要である。


受講生から、大関講師の誠実で熱心な講義に感動したなど好評を得ました。ただし講座内容からみて、講座回数を4回以上にして欲しいとの要望がありました。 
                                                                                                                                 (佐久間 實)




        

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

中世を読み解く「日記」に見る中世

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