【講座開催日】令和元年 7月4・11・18日

   7月4・11・18日(毎木曜日)午後2時~4時、研修室4。応募者51名、(抽選41名)受講者37名、延べ人数102名。講師には「遠藤周作」の番記者をなされた原山建郎氏を迎え開催されました。心配された雨も上がり、いよいよ遠藤周作ワールドへ出発です。 

                          

 第1回目 『おバカさん』(1959年)
主人公の珍事が人々の心を満たしていくユーモア小説。
この作品は一見ユーモア小説風であるが、講師によるあらすじの紹介で四人の登場人物のそれぞれの行動が明らかにされる。講師の気付きに寄れば、能舞台のシテ(仕手)とワキ(脇)の役割にたとえられる。インテリやくざの遠藤(シテ)の復讐劇にまきこまれる主人公・フランス青年ガストン(ワキ)、案内人の二人の兄妹は観客の代表である。「ワキ」には人間の迷いを表現する「シテ」を最後まで見届ける役目があり、永遠の闇の中から引き出してくると解説された。
果たして、主人公は本当に「おバカさん」なのだろうか?いや一番大きな働きをしているのではという疑問、問いかけ。冒頭に紹介された、松尾芭蕉の「おもしろうて やがて悲しき鵜舟かな」の句の世界にも通じているのでは……。後半は、「狐狸庵先生」、「ぐうたら人間学」、「おどけと哀しみ」などのエッセイ集やベストセラー作品の面白さ、講師への遠藤周作からの電話のエピソードなどユーモアあふれるお話が続きました。

                             

 第2回目 『沈黙』(1966年)
踏絵と<神の沈黙>、神と信仰への問いをなげかけた作品。
今回も講師の熱意に圧倒されそうな沢山の資料が用意されました。主な登場人物は主人公のポルトガル人司祭ロドリゴ、フェレイラ神父、百姓信徒三人(そのうちの一人は、何回も転び、裏切るキチジロー)、通辞一人、役人(出世のために一度は洗礼をうけた井上筑後守)である。役人の隠れキリシタンに対する踏絵による執拗な追求、穴吊りによる拷問。追い詰められた主人公のうちに生じた信仰上の悩み、懐疑、神の存在、西洋と日本の思想的断絶、キリスト信仰の根源的な問題を作者も底深く共有する。
次に順子夫人の対談「こころの時代」に触れ、夫からの宿題としての長崎県外海町の「遠藤周作とすべてのキリシタンの追悼ミサ」に関わるいきさつ、作者の生きざまについて解説された。さらに芥川龍之介の切支丹小説『おぎん』、『おしの』も紹介された。講師の「作品はその人なりの読み方でよく、読んだ人のものであり、何回か読んで、そう言う事だったのかと後で解ることがある」という言葉が心に残りました。

            

 第3回目『深い河 ディープ・リバー』(1993年)
母なる河、ガンジスは人間の迷いや苦しみを包んで流れる。
初めに遠藤周作座長のとてもユニークな劇団「樹座」の紹介があり、続いて講師の著書発行にまつわる作者の怒りについてのお話があり、「創作日記・病状日記」の紹介の後に、やまとことばの「やまひ」に言及され、作者が終生、病気から離れることが出来ず、この作品も文字通り骨身を削って最晩年に書かれた長編であるとのことでした。タイトルは初め『河』でしたが、作者が黒人霊歌を聞き、ダブルミーニング(二つの意味)に変更されたとのことでした。母なるガンジス川、故郷へ集うヨルダン川、希望を阻むミシシッピ川、すべてを許し包み込んで、緩やかに流れる。物語はインド仏跡旅行に参加した五人の登場人物の迷い、苦しみ、悲しみ、かすかな希望が作者自身の人生と重なるように描かれている。
テーマはキリスト教の復活、身代わりである。復活は蘇生と混同されるが、自分を生かしている大きな生命の中に戻ることを言う。ちなみに第五章に『おバカさん』のガストンが登場する。マハトマ・ガンジー語録集や井上洋治神父の「法然上人への思い」や「絵伝《室の泊(むろのとまり)》」に寄れば、どのような宗教であれ、その根底にあるものは共通である。宗教対立や宗教的多元主義についても話された。


            

受講者からは講師の話術のおもしろさとすばらしさ、作品をもう一度読み直したい、一人の作家の人生を3冊の著作をもとにたどる企画の良さ、別の作品での講座を希望する等の感想が多数寄せられました。
                                                      (市川道子)



        

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

遠藤周作を読む~人間の弱さ・哀しさとは~

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