【講座開催日】令和2年1月19・26・2月2日

令和2年度のNHK大河ドラマは明智光秀の「麒麟がくる」です。ドラマのスタートに合わせ1月19日・26日・2月2日の日曜日、午後2時~4時に梅田地域学習センターで開催された。応募者は108名、抽選により65名に受講券を発行した。出席者は第1回58名、第2回48名、第3回53名、延べ159名、受講者数は60名でした。講師は毎年講座を務めて頂いている、足立区在住の歴史研究家・江戸ぶら会会長の跡部蛮氏にお願いしました。

                          

第1回は、本当に「美濃出身」か?謎多き光秀の前半生と題して、
明智光秀の矛盾点として、生まれた年と享年にいくつかの説があること、生まれた所もいくつかの説があり出身地もはっきりせず、本当に「美濃出身」か?前半生には多くの謎があり、さらに家系図の改ざん疑惑もあって、光秀が二人(光秀Aと光秀B)という説を説明された。

                              

第2回は、足利義昭・織田信長との関係を中心にと題して、
幕府奉公衆と織田信長家臣の両属時代を第1期(1568年6月~1571年12月)とした光秀の活躍ぶりついて説明された。足利義昭と織田信長の橋渡し、本圀寺の合戦から姉川の合戦まで、志賀の陣と比叡山焼き討ちについて「明智軍記」や「信長公記」などから詳しく説明された。また、坂本城築城から丹波平定までを第2期(1572年~1579年11月)として足利義昭の追放劇、妻煕子(ヒロコ)の死と荒木村重の裏切りについて説明された。さらに、信長プロデュース企画の光秀ディレクター時代を第3期(1580年~1582年6月)として世紀の軍事パレード、信長の飴と鞭、について説明された。

          

第3回は、光秀の末子から読み解く~「本能寺の変」の謎とその後~と題して、
クライマックスの「本能寺の変」について、本能寺の変の諸説、光秀の動機、本能寺の変から山崎の合戦までについて、有名な「敵は本能寺にあり!」と山崎の合戦の光秀の誤算・敗因について詳しく説明されました。

受講者からは
・大変充実した内容で今まで知らなかった事柄がよく判って大変面白かった。
・新しい見方(光秀A、光秀B)、仮説などを分かりやすく説明いただきとても面白かった。
・光秀について本能寺の変しか知らなかったので勉強になりました、
・講師の講義内容が具体的かつ明解で、情熱を感じました。
などの意見をいただき充実した講座でした。
                                  <篠原英也>


        

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

常識が覆る?「明智光秀」の正体

講座開催報告

好評のうちに終了しました

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