【講座開催日】令和2年7月5・12・26日

7月5・12・26日の毎回日曜日に研修室1にてコロナ対策を行って開催された。講師は高梨真行氏(宮内庁尚蔵館主任研究官・足立区在住)。応募者34名、受講者31名(第1回29名・第2回27名・第3回25名・合計81名)であった。
                          

第1回は「足利義昭 将軍へ 信長と義昭の上洛作戦」。12代将軍足利義晴の嫡男ではない義昭の誕生から、織田信長の支援を受けて15代将軍になるまでの歴史的な過程が説明された。古文書は、「一乗院覚慶禁制」「三淵藤英・一色藤長連署状」「足利義昭御内書」の3件。

                                        

第2回は「将軍足利義昭と織田信長の室町幕府再興」。永禄11年(1568年)信長は近江六角氏を破り上洛に成功し、義昭は第15代将軍に就任するが、講師は一旦途切れた足利幕府の再興との解釈であった。将軍義昭と家臣の信長の関係は幕府内の決定権は将軍にあり、信長は将軍を補完するという役割分担が明らかにされた。古文書はいずれも折紙の「柴田勝家書状1」「柴田勝家書状2」「三淵藤英書状」の3件。

                          

第3回は「織田信長との相克、そして追放へ 御掟、意見書の意義」。信長の考えは室町幕府を支えながら自らの勢力を広げることにあった。その中で将軍と諸大名の接触を制限したが、義昭は浅井・朝倉・三好・武田・本願寺・一向宗等と信長包囲網の形成に動いた。信長は当初天下取りの気持ちはなかったが、義昭を追放し、義昭は毛利氏の保護下に入った。義昭は信長の死後も将軍を続け、養子を望む秀吉の希望も拒否したので、秀吉は関白になった。古文書は「殿中御掟」「殿中御掟追加」「佐久間信盛書状」「将軍足利義昭御内書」の4件。

受講者のご意見。・今まで真実と思っていたことが、古文書を読み解くことで、新しい真実が出てくる事に驚きを感じます。・内容については良く理解できました。その上、戦国時代の背景がわかり易く解説され、親切丁寧であった。・来年もぜひこの講座をやっていただきたい。
など難解な古文書講座であったが、熱心に受講され、満足されたご意見が多かった。
                                      (糸井史郎)


        

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

「中世古文書講座 将軍義昭と信長の関係を探る」

講座開催報告

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