【講座開催日】2020年11月-12月

11月28日・12月5日・12日・19日の4回にわたり、コロナ対策を行い開催された。講師は「安藤昌益と千住宿の関係を調べる会」事務局長で足立区在住の矢内信悟氏。受講申込は40名、受講者29名、延べ出席者108名であった。
                          

第1回目は、貨幣・時間・暦のはなしと題して江戸時代の三貨制度(金、銀、銅の三種類からなるお金の制度、貨幣の種類(計数貨幣、秤量貨幣)、時間の定時法(季節によって1時間の長さ変わらない)と不定時法(変わるもの)時刻の知らせ方、鐘のあった場所、今に残る時の鐘(岩槻、川越、赤坂、上野、浅草、小伝馬町、四谷)、暦の種類(太陽暦、太陰暦、太陰太陽暦、などについて解説された。

第2回は「安藤昌益」で安藤昌益の生涯・著書「自然真営道」の思想・千住における「自然真営道」の発見とその後の昌益研究の足跡が解説された。「自然真営道」は複数刊行された刊本(3巻)と著者の原稿である稿本(101巻・93冊)の2種類があり、その稿本が千住の橋本家に存在したが、東大図書館に寄贈されたものの、関東大震災により焼失してしまった。幸い肝心な部分12冊は貸出されており現存している。昌益の思想は多岐にわたっているが、1例を上げると「不耕貪食」(耕ズシテ貪リ食フ)で、支配者(貴族・武士)や寄生者(仏者・学者・商人)など生産労働しない者を激烈に批判している。司馬遼太郎は昌益を「日本で唯一の独創的な思想家」と評価している。
              

第3回「佐藤元萇」は会津出身の漢方医であるが、「自然真営道」所蔵の千住の橋本家に出入りして、橋本玄益の跡を継いで診療も行っている。鴎外は千住時代に元萇に漢詩の指導を受けている。「元萇日記」(1851~71年)は2009年に発見され、「安藤昌益と千住宿の関係を調べる会」により2020年4月に翻刻・刊行された。「元萇日記」により今まで判らなかった部分の千住の文化史が明
らかになってきた。

第4回は「森鴎外」。鴎外と千住との関係・人物像の紹介から始まり、師弟関係にあった佐藤元萇との関係を探っていった。まず鴎外は日記を書いていると思われるが、全集が出るごとに3次に渡って小出しに浄写本が発表されているが現物の所在が不明である。更に元萇との関係は不明な点が多いものの、かなり親密な交流があり、ドイツ時代にも手紙の交換がされているが、元萇の子・益太郎から元萇の千住時代を明らかにしないように頼まれたのが一つの理由として指摘された。


          

受講者のご意見。
■母校である千寿第四小学校(常東小)時代に「嘉慶樹の碑」について先生方より話は聞いておりましたが、そこに「エレキテル」で有名な「平賀源内」が居たとは思いもよりませんでした。このように知らない史実を学ぶことが出来、大変楽しい講座をありがとうございました。
小学生のとき足立区に引っ越してきてから半世紀以上暮らしてきたのに、地元のことについて全く知りませんでしたが、今回受講させて頂き、江戸期からこんなに文化的に発展していたエリアだったということを知って、誇らしい気持ちになりました。先生のお話はとても判り易く、何よりご自身の熱意が伝わってきて、2時間があっという間に感じられました。その他、熱のこもった調査活動と講義に大きな拍手が送られた。                                                                                                                                          (糸井史郎)



   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

「千住の文化人 安藤昌益から佐藤元萇・森鴎外へ」

講座開催報告

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