【講座開催日】2021年3月7日・11日・18日 

3月7日・21日(毎回日曜日)と講堂において、コロナ対策を行って開催された。
講師は防衛大学準教授三村昌司氏。
応募者83名、受講者67名(第1日目67名、第2日目46名、累計113名)

                          

第1回目。1840年(天保11)に渋沢栄一が誕生するが、この時代は「内憂外患」の時代で、日本ではペリーが浦賀に来航するなど、正に幕末の変革期であった。渋沢家は農家で米作りの他に養蚕や藍玉の製造販売を営む。栄一は実家の手伝いの傍ら剣術と論語を学んだ。藍玉商売や論語はその後の彼の思想形成の基盤となる。武士が権威をかざし、農民を平伏させる江戸時代の身分制度に疑問を持ち、領主から御用金を要求された時、不当な要求と反発するのはその一例である。
江戸に遊学するが、尊王攘夷の影響を受け、従弟の渋沢喜作らと高崎城の占拠と横浜の外国人殺害計画を立てる。ところが直前に、従弟の尾高長七郎に暴挙であると説得され思いとどまる。

              

第2回目。暴挙蜂起の嫌疑を避けるため、江戸遊学中に知り合った一橋家用人平岡円史郎を頼り京都へ赴く。結果、誘われて一橋慶喜の家臣となる。当初は隠れ蓑のつもりであったが、仕える以上は君主に奉公すべきと、尊王攘夷から佐幕へと思想転換する。仕事では播州木綿を藩札で買い上げ現金で販売し、その金利を資金運用し財務を改善する。ここで藍玉商売の経験を生かす。やがて、慶喜は15代将軍に就任する。
1867年、パリ万博に慶喜の弟昭武が招待され、栄一は同行を命ぜられ、フランス以下欧州の政治、経済、文化を学ぶ。フランスで事業が「合本主義」で運用されていることを学び感銘を受ける。
帰国すると、江戸幕府の大政奉還がされ時代は明治になっていた。栄一は、慶喜の静岡藩に勤務するが、能力を買われ政府民部省に招聘される。ここで、「合本主義」の実践で、先ず、民間資本を集めた第一国立銀行を設立する。以降、500以上の事業会社、慈善団体の設立にかかわる。正に、近代日本経済を造り上げた最大の功労者と言える。

          

★受講者の意見
1.江戸時代に誕生し、明治の近代化、昭和の発展期まで幅広く活躍した人生は素晴らしい。
2.幕末の残党とならず、明治維新の立役者となるところが東洋思想に根ざしたものが身についていたからだと思う。生き方の参考になる。


   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

「渋沢栄一と明治維新」

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