【開催日】2021年12月4・11・18日

 講師:元歌舞伎座支配人、金田栄一氏。講座開催日:令和3年12月4・11・18日(毎回日曜日)
研修室1において、コロナ対策を行って開催された。応募者34名 受講者26名 累計74名

                          

 1日目。「歌舞伎の始まりと『傾(かぶ)く』精神」
冒頭は講座の直前、今年11月28日に中村吉右衛門が無くなった追悼の意と紹介から始まった。テレビの「鬼平犯科帳」が大ヒットし、それまでは兄松本幸四郎の陰になっていたが、これで一躍日の目を見た。しかし、本人は鬘を着けると鬼平に見られ長い間相当悩んでいた事、着物姿と背広姿は全く異なった雰囲気になり、そこにいるだけで存在感のあった人であった事などエピソードが紹介された。
歌舞伎は、江戸時代1603年、奇抜な格好をして奇抜なことをする事から始まった。創始者は出雲の阿国。奇抜な踊りなので「傾(かぶ)き」と呼ばれた。しかし、「遊女歌舞伎」になり、風紀上の問題から成人男子のみに限定された。そこから生まれたのが女形(女形)である。
明治になると、西洋文化が流行し歌舞伎が消滅の危機になる。しかし、西洋文化も取り入れながら、歌舞伎の新しい文化を作り上げ継続された。歌舞伎は、歴史を忠実に描いた芝居はあまりない。
従って、歴史物語ではなく、「おとぎ話」と思ってみるのが楽しみ方である。

              

 2回目。「團十郎の代々と歌舞伎十八番」
初代團十郎の先祖は甲府生まれの武田武士。團十郎の父が人形町に住んでいて芝居好きだった。14歳で初舞台を踏むが、体を赤く塗り墨で隈取をし勇壮な芝居をした。ここから、荒事という江戸歌舞伎の芸風が始まった。二代目團十郎は初代が成田不動尊に熱心に祈願の結果授かった子。ここから、屋号を「成田屋」という。上方和事風役柄にも幅を広げた結果「助六」を初演することになる。又、江戸庶民に神懸った存在として崇められ、歌舞伎役者の中でも別格の存在となる。十二代團十郎は新之助時代、菊之助、辰之助と共に「平成の三之助」と呼ばれ、歌舞伎を盛り上げ押しも押されもせぬ歌舞伎界のリーダーとなる。

                                        
3回目。「大道具と小道具」
冒頭、金田講師が昨年文化庁長官表彰を受章されたことの報告があった。歌舞伎には大道具と小道具がある。大道具とは組み立てが必要な大きな装置で、屋敷、庭木、背景画などであり、製作は歌舞伎場の専属会社が担当する。小道具とは小物で刀、扇子、下駄などであり、製作会社は藤波小道具一社で担当し、大きな倉庫に保管し、各歌舞伎場に貸出している。

今回の講座は、アンケートを見ると「歌舞伎の敷居が低くなった」「来年はぜひ見に行きたい」「今後は楽しめる」など、歌舞伎の見方、楽しみ方を多くの方に理解していただいたので、歌舞伎を身近なものに感じていただいた有意義な講座であったと言える。                                                                  (榊原金市)



   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

「歌舞伎入門講座 カブキの楽しさを見つけよう!」

講座開催報告

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