【講座開催日】2022年5月7日・6月11日・7月9日

   5月7日(土)・6月11日(土)・7月9日(土)の3回にわたり生涯学習センター研修室1及び講堂にて開催された。講師は幕末の足立の郷士・日比谷健次郎の活躍を描いた小説「紅紫の館」の著者で、令和3年10月「幕末の足立と桜田門外の変・徳川埋蔵金・新選組」の第1回講師を担当された穂高健一氏。連載小説準備中でお忙しい中を、月1回というスケジュールで実現した。応募者は63名、受講者は59名、出席は第1回55名・第2回44名・第3回41名・合計140名であった。

                          

   第1回は「天璋院篤姫 将軍継承問題の激しい対立と大奥の政治力」として、幕末(12代~15代将軍)の大奥の内部事情や皇室との関係、御台所決定の状況が解説された。特に天保の改革を行った老中・水野忠邦に対し、大奥を代表して対立した大奥最上位の上臈・姉小路は「奥女中は禁欲の代償として贅沢をしているにすぎない」とやり返し、大奥改革を封じたというエピソードを紹介された。姉小路は公家で大納言の橋本実誠の娘で、12代家慶の正室・有栖川宮の喬子に従って大奥入りしたが、喬子死去後に大奥の実力者になり、後に篤姫の受け入れや和宮(姉小路は和宮の大叔母)の降嫁にも大きな影響力を与えた。


      

第2回は「皇女和宮の降嫁と家茂将軍の夫婦愛そして悲劇の物語」として、薩摩出身の篤姫の13代家定との婚礼から皇室出身の和宮と14代家茂との婚礼までが解説された。大奥の記録は全て焼却されて残っていないので憶測するほかはないが、幕末の将軍家は幼くして死亡することが非常に多かったがその理由は明らかではない。11代家斉は53人の子が誕生したが成人になったのは28人であり、12代家慶は27人の子があり、男子は14人いたが、成人したのは13代家定のみであった。

          

   第3回は「対立する嫁と姑がお家存続で立ち上がる」として、篤姫が嫁いだ13代家定は34歳で早世し、14代には南紀派で井伊直弼や大奥が推す家茂が12歳で将軍となり、16歳の時和宮が嫁いだ。家茂は1866年第二次長州征伐の途上、わずか20歳の時大阪城で亡くなり、15代には慶喜がついた。慶喜は1967年大政奉還。篤姫と和宮は当初対立していたが、薩摩と皇室双方に徳川家の存続と江戸の無血開城を働きかける為に協力する様子が解説された。

 受講者のご意見。・教えられていた歴史と違った側面での歴史の見方を知ることができました。新しい見方で歴史を見返すことができそうで楽しくなりました。・時代背景をおもしろく拝聴しました。クリミア戦争が日本にも影響を与えていたり、北方領土の話については知らないことでしたが、歴史の事実を知る必要がある。アイヌ系ロシア人の話を聞くとロシアが北海道を侵攻する話もあながちない話ではないと思いました。近代史(幕末からの話)を丁寧に教える必要がありますね。など。 (糸井史郎)



   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

「篤姫と和宮 大奥から見た幕末」

講座開催報告

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