【講座開催日】2023年1月15日・22日・29日
1月 15・ 22・ 29日(日)の 3回にわたり、NHK大河ドラマ「どうする家康」に関連した講座として生涯学習センター講堂にて開催された。
応募者は75名、受講者は 71名、出席者は第 1回 65名・第 2回 62名・第 3回 54名で合計 181名であった。講師は歴史研究家・博士(文学)・江戸ぶら会会長
跡部 蛮氏。
第 1回 は「信長と秀吉 桶狭間の合戦・本能寺の変・中国大返しの謎と真相」として、家康登場の前に信長と秀吉の二英傑について講義が進められた。まず信長であるが、桶狭間の合戦・比叡山延暦寺焼き討ち事件を通じて、信長の合
戦に対する最近の研究による解釈や信長の持つ誤解されやすい言動について解説された。本能寺の変については明智光秀がなぜ単独で謀反に及んだのか、国替え問題など光秀側の動機が分析された。次いで秀吉について、本能寺の変から中国大返し(備中高松城で合戦中の秀吉が信長の訃報を知り速やかに毛利氏と講和し京に向けて引き返したこと)の状況が紹介された。特に羽柴軍の食料(米や水)の準備の周到さから、秀吉は信長暗殺計画を知っていた可能性が指摘された。
ここまでで第1回は時間切れとなった。
第2回 は「徳川氏の素性と一族の歴史 家康 の人質時代から長篠の合戦までの謎と真相」であるが、その前に第 1回の積み残し部分の秀吉の本能寺の変から天下簒奪までが解説された。信長の後継者を決める清洲会議や小牧長久手の合戦の後に関白となるが、天下をおさめるには摂関家では力不足で出来ないので、自分が関白を引き受けたとしている。朝鮮出兵はその後の中国出兵を考えたものであり、スペインなどのヨーロッパ勢力の中国や日本征服に対応する動きであったが、その最中に秀吉は病死してしまった。第
2回の後半からが、徳川家康についての講義となった。徳川一族の出身地から始まり、徳川姓 を名乗るまでが説明された。さらに長篠合戦における鉄砲 3000挺三段撃ちの真相が説明された。
第3回 は「地震に救われた家康、天下取りまでの謎と真相」として、 1585年の天正大地震により家康が秀吉から成敗されるのを免れた。 1598年の秀吉の死から
2年後の関ヶ原の合戦・大坂冬の陣・夏の陣におけるエピソードが紹介された。その中で方広寺銘鐘事件については梵鐘に刻まれた「国家安康」「君臣豊楽」について林羅山と南禅寺の文英清韓の論争が紹介された。大阪城は外堀が埋め立てられ、秀頼と淀殿は自害した。家康は翌年正月
21日に鷹 狩りの際に鯛の天ぷらを食して体調を崩しその後死去した。胃がんであったとの説もある。
受講者の言葉。
・大変よく理解できて、さらに大河ドラマを楽しめると思いました。
・資料が豊富にあり、新しい説を聞くことができ、大河ドラマを見るときの参考になる内容で、興味が
わいた。
・今までと違う視点での史実の解説が楽しかった。など大河ドラマ関連の感想が寄せられた。
(糸井史郎)
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