【講座開催日】2023年9月2日・16日・24日・30日

   9月2日(土)・16日(土)・24日(日)・30日(土)の4回にわたり生涯学習センター5階研修室1にて開催された。講師は江戸時代を中心とした歴史研究家の大沢正明氏。受講者は34名。出席者は第1回32名・第2回30名・第3回28名・第4回31名・累計で121名であった。

                       

 第1回は「西郷の誕生から島津斉彬時代」として、まず西郷の家系図が示され、親兄弟孫の世代まで一族が紹介された。誕生(1828)から32歳(1860)の頃までの頭角を現す前の時代で、西郷は御小姓与という下から2番目の下級武士であった。26歳で伊集院須賀と結婚し、2年後に離婚。28歳で藩主島津斉彬に従って江戸に入り、藤田東湖・橋本左内らに会う。30歳で斉彬の養女・篤姫の将軍家への輿入れに奔走する。32歳の時に斉彬が死亡する。近衛家より僧・月照の保護を依頼されるが、薩摩に保護を求めたが結局殺されることを知り、錦江湾で共に入水する。月照は死亡し西郷は奇跡的に助かった。藩より奄美大島へ潜伏を命じられる。

                       

 第2回は「西郷と島津久光と大久保利通」で、西郷が33歳から38歳の頃である。1858年に安政の大獄・1860年に桜田門外の変が起きるが、奄美の西郷は1859年龍佐恵志女・愛加那(現地妻)と2回目の結婚。1862年島津久光に呼び出されるが、寺田屋事件などで久光の怒りを買い、7月徳之島に2度目の配流となった。1864年召喚され京都へ出るが、池田屋事件・蛤御門の変・勝海舟との面会などを経験し、第一次長州征伐を委任される。

                                                     

 第3回は「戊辰戦争と江戸開城」で39歳から42歳の頃まで。1865年薩摩に帰り、岩山糸子と3回目の結婚。幕府の天狗党処分を拒否し、第二次長州征伐拒否の藩論をまとめ、中岡慎太郎・坂本龍馬らと薩長共和へ動く。1866年薩長同盟結成。大目付となり家老座への出席を命ぜられる。1867年四候会議(薩摩・越前・土佐・宇和島)を建言するも、徳川慶喜と四候の意見が合わず空中分解。薩摩・長州・土佐の三藩盟約を結び、倒幕の密勅を受ける。10月慶喜は大政奉還。1868年1月鳥羽伏見の戦い、2月慶喜が上野寛永寺に閉居、4月江戸開城、5月上野戦争、7月江戸を東京に改名、9月明治に改元で一世一元となり、
9月に天皇が東京へ移った。

                       

 第4回は「鹿児島下野と西南戦争」で43歳から49歳まで。1869年西郷は薩摩藩の一代寄合(上級武士)となり、位階は正三位を送られる。1870年位階は返上し、薩摩藩大参事となる。太政官への復帰を承諾し、岩倉具視より親兵制の提案を受ける。1971年薩摩藩の親兵を組織して上京。7月廃藩置県の詔が出て、10月欧米使節団を見送る。1872年参議兼陸軍元帥・近衛都督となる。太陽暦が採用され・徴兵令が発布された。1873年征韓論で自らの遣韓使節が認められず、参議・陸軍大将・近衛都督を辞し、位階を返上する。1874年私学校・吉野開墾社設立。1877年2月西南戦争勃発し、9月終結。9月24日西郷は別府晋助の介錯により死亡。享年49歳。

受講者の言葉
●レジメが順序よく整理され、それに合わせての説明が明快で、西郷公の経歴を理解でき、大変興味深く感じることが出来ました。
詩吟を習い始め、西郷・松陰・東湖・斉昭・象山・海舟・博文などの理解を深め、吟じてゆこうと参加しました。
楽学の会は8月がお休みで物足りなかったです。毎月楽学の会を受講させて頂く事が、生活のポイントとなっていました。                                                                               (糸井史郎)


   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

西郷隆盛の生涯と幕末・明治

好評のうちに終了しました

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