【講座開催日】2023年9月18日
今年の特別講演会は、9月18日(月・祝日)生涯学習センター講堂で102名の方にお集まりいただき開催いたしました。講師はおなじみのお江戸ル“ほーりー”こと堀口茉純氏です。今年の大河ドラマ「どうする家康」にからめて、「徳川家とあだち」~徳川将軍家ゆかりの地~というテーマでした。
パリ万博に行ったプリンス徳川(徳川昭武、後の水戸藩主)の浮世絵に始まり、徳川家と千住との関わりに入りました。徳川家康にとって千住の位置づけは奥州征伐をめざすための奥州街道へ向けてのルート確保の要衝でした。千住は江戸幕府の元に江戸四宿の一つ「千住宿」として整備されていき、江戸四宿のなかでも最大規模でした。江戸から出るための御橋、千住大橋は江戸で一番大きな橋であり、江戸の名所となりました。当時の千住大橋の橋杭は伊達政宗が寄進した水に強くて朽ちにくい高野槙だと言われており、広重の浮世絵「千住の大はし」はあまりにも有名です。また、橋を舞台に豊作祈願として両側からの綱引き大会をやって賑わいました。
日光道と水戸・佐倉道の分岐点は現在の千住5丁目清凉寺のあたり、立派な槍掛けの松があったそうです。松は枯れてしまったが、槍かけの松にちなんだ槍かけ団子が今も名物として残っています。街道入口の千住小橋あたりには髪結い床があったといい、千住のこの辺りに今もヘアーサロンが多いのはその名残でしょうとのことです。
また、徳川将軍家の趣味は鷹狩でした。あだちは鷹狩にもってこいの地であり、2代、3代将軍は千住によくきたそうです。家光は千住がお気に入りで50回も千住に鷹狩に来た記録があるとのことです。鷹狩時の千住御殿が作られた所が千住2丁目にある勝専寺(赤門寺)でした。千住の地名はこの寺にある千手観音立像の千手が転じたものとも言われています。また、現在は東京拘置所となっている所に小菅御殿も造営されました。
5代から7代までの将軍は鷹狩はしなかったそうですが、8代吉宗将軍は鷹狩を復活させ、鷹狩時に千住5丁目にあった茶屋、松風庵(爺が茶屋)で休息をとりました。そしてそこに輝く光茶釜を褒めたそうです。同じ千住5丁目にある名倉医院は江戸時代から接骨医で有名ですが、相撲取りや役者、絵師などからは治療費を取らなかったそうです。北斎や文化人などとの関わりも多く、徳川将軍12代、13代の鷹狩時の休息所にもなっていました。現在も整形外科医院として診療されています。
徳川家にとって千住は重要な場所であったことがほーりーさんのお話からよくわかりました。テンポの良いお話がわかりやすく、千住の成り立ちや徳川家のことが楽しく聞け、新しい発見や知識を得ることができました。千住と徳川家とのつながりがわかり、江戸を身近に感じられました。など、受講者からの感想はとても好評でした。
厳しい残暑のなか、ほーりーさんはイギリスから帰国されて間がなく、まだ時差ぼけが残っている状況で大変だったことと思います。お手製の葵紋の陣羽織がとてもお似合いでした。
1年ぶりの特別講演会で、動ける会員総出で取り組み無事に終了してホッとしています。
(林 令子)
あだち区民大学塾講座 講座開催報告
好評のうちに終了しました
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特別講演会 報告
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