
【講座開催日】2025年5月8日・15日・22・28日
この講座は5月8日・15日・22日・28日の4日間にわたり開催された。定員50人で募集したが、応募者は110名であった。抽選により57名に受講券を発行した。出席は第1回51名・第2回49名・第3回45名。第4回は現地学習で街歩きのため2組に分けて実施し、午前は21名・午後は23名で第4回合計は44名であった。応募者が多く、半数しか受講できなかったので、千住宿400年の今年中に、もう一度同じ内容の講座開催に向けて、区や生涯学習センターと協議を進めたい。
講師は「安藤昌益と千住宿の関係を調べる会」事務局長の矢内信吾氏。

第1回は「千住宿の成立と発展」として、千住宿の役割や整備の状況と農産物や物資の集散地となって江戸四宿で最大の人口を抱え、文化活動も盛んであったことが述べられた。又、宿場の役割リ・仕組み・活発な文化活動など街の変遷が紹介された。時代と共にまちは南に拡大され、仲町・河原町・橋戸町が加わり、更に現在の荒川区の中村町・小塚原町が加わり、それぞれ北組・中組・南組と呼称され、「大千住」と言われるようになった。近郊には日光東照宮の大棟梁の甲良家に徳川家より1万坪の別荘地が与えられ、甲良屋敷が設置された。

第2回は「千住宿の文化と医学のお話」として、甲良屋敷を譲渡された田村藍水は「雲和亭」と名付け、人参や本草栽培を行った。藍水の弟子・平賀源内は5回の「薬品会」を開催した。又、千住宿で人体解剖を行った杉田玄白と解体新書。安藤昌益の「自然真営道」が千住で発見されたいきさつについて詳しく解説された。昌益の医学を継承した川村寿庵と真斉の親子・橋本玄益・佐藤元萇など。更に東大卒業後に父親の橘井堂医院のある千住に居住した森鷗外の千住とのかかわりや佐藤元萇との関係について解説された。

第3回は「千住の文化人たち」として、「甲良家の人々と甲良屋敷」では徳川家に登用された甲良家が日光東照宮の創立や補修を担当したこと。田村藍水は甲良家から屋敷を譲渡されて朝鮮人参を栽培し、藍水の弟子に平賀源内がいて「薬品会」を開催したことなどが重ねて紹介された。松尾芭蕉は1689年に千住から「奥の細道」の旅を出発したこと。矢立初めの句は「行春や鳥啼き魚の目は涙」とも「鮎の子の白魚送る別れ哉」とも言われている。その他「千住酒合戦」「寺子屋・郡雀堂」「内田銀蔵」「河合栄治郎」などが紹介された。

第4回は、現地学習で「千住を歩く」。北千住西口→本陣跡→勝専寺→河合栄治郎生家跡→森鷗外橘井堂跡→千住問屋場跡→慈眼寺(「自然真営道」発見の橋本家墓地)→佐藤元萇藁園跡→内田銀蔵生家→千寿小学校跡→甲良屋敷跡・田村藍水雲和亭跡(千寿常東小学校)→東京電機大前。約2時間半、前3回の講義で話題となったゆかりの地の街歩きを行った。

≪受講者のことば≫
●歴史を複眼的、立体的に研究されてきた成果の一端を三次元的に構築され、質的にも大変素晴らしい内容で、すごく感銘を受けました。そのレベルは博士論文の発表会とも感じられました。
●医学誌の視点から千住宿における主要人物の存在がよくわかりました。従来、杉田玄白や平賀源内の名前はよく知られていますが、今回の講義で安藤昌益、佐藤元萇など詳しく解説していただき、彼らの役割を初めて知ることが出来ました。
●「森鷗外と千住」「名倉医院の歴史」にも興味を持ちました。
●足立にゆかりの江戸時代の人々が大勢いたこと、東京の田舎と思っていたらずいぶん賑やかなところで愛着がわきました。
●引っ越してきた昨年より、歴史がありそうだなあと思って、あちこち歩き回っていましたが、今回の講座で、いろいろなことが知れて良かったです。講座で得た知識を夫に話しましたら、夫も千住に大きな興味を持ったようで、「千住宿歴史ウオーク」を買い求め読んでいます。などアンケートにご意見を頂きました。医学に関連した情報が多かったので、受講者の千住宿のイメージとずれがあるかとおもわれたが、逆に今まで知らなかった千住の一面を知ることができて、かなり良い評価になっているようである。
■矢内講師は令和2年度に「千住の文化人 安藤昌益から佐藤元萇・森鷗外へ」の講座を担当していただいたが、今回は「千住宿400年講座 『千住宿400年の人と歴史』」として5年間のご研究の進捗と千住宿400年の歴史を興味深く講義していただいた。改めて感謝の意を表したい。 (糸井史郎)
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あだち区民大学塾講座 講座開催報告

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