【講座開催日】2025年9月6日、13、20、27日

 「生誕100年三島由紀夫の生涯と文学散歩」は、9月6日、13日、20日、27日の土曜日 足立区生涯学習センターで開催されました。講師は大沢正明氏(江戸文化歴史検定一級、奈良まほろばソムリエ検定ソムリエ級、京都観光文化検定試験一級)延べ受講者は89名でした。

                         

1925年の誕生から2025年は生誕100年となるにあたって、鬼才「三島由紀夫」の45年の人生とその文学は何だったのかを探り三島が綿密に取材して残した畢生(ひっせい)の大作『豊饒の海』(全4巻)の舞台を訪ねました。


 I. 誕生から処女作まで
大正14年(1925年1月14日 東京市四谷区に平岡梓と倭文重の長男として誕生。本名平岡公威。
2階で両親が育てるのは危険という口実で、両親から離され1階の自室で祖母が養育。祖母は坐骨神経痛があり、しばしばヒステリ-症状を引き起こす。4時間ごとに母親を2階から呼び授乳だけさせたという。祖父定次郎は福島県知事から樺太庁長官、父梓は農林官僚元水産局長で、孫公威と東大法学部卒業で、官僚エリートの家系である。
6歳(昭和6年)学習院初等科入学。皇族-華族中心の学習院は、大名の系譜を持つ祖母の意向で入学できた。顔色が蒼白で、アオジロと呼ばれていた。
11歳(昭和11年)授業1時間目2.26事件が起こり帰宅になる。
12歳(昭和12年)学習院中等科に進学。渋谷区大山町に転居。祖父母の元から離れ、両親と暮らす。
16歳(昭和16年)学習院の文芸部「文藝文化」に『花ざかりの森』を掲載。ペンネーム 三島由紀夫を使用する。12月太平洋戦争が始まる。

                       

 Ⅱ.戦中からその地位の確立まで
19歳(昭和19年)本籍地兵庫県で徴兵検査、第二乙種合格する。
9月 学習院高等科を首席で卒業。10月東京帝国大学法学部法律学科に入学。
同月『花ざかりの森』七丈書院より刊行。
20歳(昭和20年)2月入営通知を受け兵庫で、入隊検査を受けるが風邪をこじらせ、医師が肺浸潤と誤診し即日帰郷となる。8月終戦。10月妹、腸チフスで死去。
21歳(昭和21年)1月、「中世」「煙草」の原稿を携え、鎌倉の川端康成を訪ねる。
22歳(昭和22年)11月高等文官試験行政科に合格。東京大学法政部法律学科卒業し大蔵省に入省。
23歳(昭和23年)大蔵省を退職。「盗賊」出版。以降24歳から26歳「仮面の告白」「純伯の夜」「青の時代」「禁色」などを刊行。
29歳(昭和29年) 「潮騒」ベストセラーになる。10月に、東宝で映画化。11月、歌舞伎座でドナルド・キーンと会い、以後親交を深める。
31歳(昭和31年)「金閣寺」「永すぎた春」を連載開始。それぞれ10月.12月刊行
33歳(昭和33年)川端康成の媒酌で、6月杉山瑤子さんと結婚。31歳8月からのボクシングを止めて、10月から剣道を始める。
34歳(昭和34年)大田区にビクトリア朝コロニアル様式風の豪邸を建て、引越す。
35歳(昭和35年)「宴のあと」「お嬢さん」を連載。大映映画「からっ風野郎」に主演。11月夫人同伴で世界一周旅行に出る。(1月帰国)
36歳(昭和36年)「憂国」「獣の戯れ」を刊行。江戸川乱歩原作「黒蜥蜴」の脚色公演。



  Ⅲ.世界の三島文学の完成と死まで
41歳(昭和41年)11月「春の雪」脱稿。
42歳(昭和42年)1月「奔馬」を翌年8月まで新潮社に連載開始。2月川端康成、石川淳、阿倍公房らと中国文化大革命に対する抗議アピールをする。4月陸上自衛隊に5月まで体験入隊する。9月インド政府の招きで取材旅行。ノーベル賞候補にあがる
43歳(昭和43年)3月大学生有志30数名と自衛隊に体験入隊し、血判書をつくる。堤清二を介して制服を作る。4月「黒蜥蜴」東横劇場で公演(出演、丸山明宏・天友茂)。7月「文化防衛論」「反革命宣言」を発表し、戦後日本社会の憂いや批判を鮮明にする。9月「暁の寺」を連載開始。10月「楯の会」を発足。40数名の会員集合。川端康成がノーベル賞受賞
44歳(昭和44年)「春の雪」「奔馬」を刊行。3月、陸上自衛隊に楯の会会員27名と共に体験入隊する。5月東大全共闘主催の討論会に招待される。8月映画「人と斬り」に出演。45歳(45年)3月陸上自衛隊に楯の会会員30名を連れて体験入隊する。
7月「天人五衰」連載開始。
10月19日楯の会4人と最後の記念撮影をする。11月4日から3日間、最後の自衛隊、体験入隊する。
11月14日新潮社の新田氏に全作品、写真、テープ原稿などを含む完全な「三島由紀夫全集」を依頼する。24日夜、ドナルド・キーン氏に「豊饒の海」の英訳で出版の依頼文章を寄稿する。
25日朝、「天人五衰」の最終回原稿を編集者へ渡す。市ヶ谷自衛隊駐屯地で天皇陛下万歳を三唱し自刃。

  

  Ⅳ.『豊饒の海』の舞台を訪ねる
「春の雪」:松枝侯爵邸、学習院血洗いの池、終南別業(現鎌倉文学館)天祖神社、帯解駅と円照寺。
「奔馬」:大阪地方裁判所,狭井神社と三輪神社、率川神社、白山神社。
「暁の寺」:カリガート寺院・ベレナス・アジャンタの洞窟礼拝堂。
「天人五衰」:三保の松原と帝国信号通信所、円照寺。
テーマは、① 輪廻転生 ② 唯識 ③ 20歳 ④ 夢 ⑤ 肉体 ⑤ 覗る。

                        

本講座へのアンケート
・三島由紀夫を全く知らなかったので三島由紀夫の年表を詳しく説明頂き最後の作品で三島由紀夫の人となりがイメージできました。
・非常にわかりやすい講義でした。三島作品を読んでみようと思います、特に「豊饒の海」、レジメが大変立派です。
・三島由紀夫の生い立ち、素顔など始めて知る事実も多く勉強になった。また彼が大変な活動家でありいろんな分野に顔を出し映画出演までしていたのには驚いた。ただ憲法改正を唱え「盾の会」を結成し最後は市ヶ谷で割腹自殺で一生終えたことには、なぜそうしなければならなかったのか理解できなかった。
・祖父は三島と同じ年の大正15年生まれでした。当時の社会や若者の感性を知ることができて良かった。
写真を多く見せて頂いたので立体的に理解することができました。いままで三島の本を読んだことがありませんでした、この講座をきっかけに「仮面の告白」「金閣寺」「春の雪」を読みました。すばらしい読書体験となりました。
・とても良かったです。三島由紀夫をあまり興味がなかったのですが、この講座を機に読んでみたいと思いました。
・名前だけは知っていたが、あとは何も知らなかったが、この講座で生誕から死まで学べてほんとうに
よかった。これから小説も読んでいきたいと思います。

  担当者所感
①大沢講師の多くの写真により作品の舞台がさらには奥行きをもって楽しめました。
最終ページの本多と聡子の会話が美しい。(過去とは別々に無に帰しつつある現存でもある。記憶と夢幻、つまり現実に在ったこと無かったことと一体どこに違いがあるのだろう)。「豊饒の海」とは、“月にある海”とよばれるクレーターで、カラカラの砂漠なのです。
②三島由紀夫は、昭和の激動時代そのものを生きた。安保騒動、経済的繁栄期の社会に対して開かれた小説家だった。数多い作品は三島美学そのもの、完璧な構成で計算されていて、まるで、音楽(協奏曲)のようで圧倒される。私はその三島の生き方に強く感動させられました。                           (渡辺秀子)




   

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生誕100年 三島由紀夫の生涯と文学散歩

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