
あだち区民大学塾講座 講座開催報告

好評のうちに終了しました
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講座開催報告
【講座開催日】2024年10月6・20・27日
古代の歴史・伝承・史跡を訪ねて 奈良を歩くは、10月6・20・27日(日曜日) に足立区生涯学習センター(学びピア21内) 5階 研修室1で開催された。講師は高梨真行氏(宮内庁三の丸尚蔵館主任研究員・足立区在住)、応募者は36名、受講者は33名、第1回31名、第2回30名、第3回31名で延べ92でした。今回の古文書講座は藤原家の摂関家の確立と家政機関と公家から武家への移行を文書で外観しました。
奈良の中で歴史スポットを多く持つ「山の辺の道」を桜井から石上神宮まで訪ね「橿原・飛鳥周辺の道」を追って、古事記や日本書紀にある神話時代から古墳時代・飛鳥時代に至る歴史を概観しました。

第1回は、山の辺の道とは、日本書記に存在が確認されている1300年以上の歴史がある“日本最古の官道である”。“山辺の道”は奈良市街まで続くが、桜井から天理までの一般コースは16㎞である。箸墓古墳は大きささでは全国で11番目、奈良県下では、3番目の規模を持つ。過去に5回の発掘調査がおかなわれており、出土土器の検討により前方部が布留0(ゼロ)式期(4世紀初め)の築造であるとされるこの古墳は邪馬台国の嬢王「卑弥呼」の墓という邪馬台国畿内説でも有名である。仏教伝来、金谷の石仏、大神神社、桧原神社が紹介された。

第2回は、纏向遺跡から石上神宮までです。日本で最初に巨大な前方後円墳群が出現するのは大和盆地東南部の三輪山山麓の巻向地区である。それらは日本で最初の統一政権、ヤマト政権の有力者の墓として築かれたものといわれいて、山の道に沿って行燈古墳(崇神天皇陵)、渋谷向山古墳(景行天皇陵)、箸墓古墳などが1~2㎞の間隔で並んでいる。これらの古墳群の中でも最古の大型前方後円墳のある箸墓古墳のある纏向遺跡には、さらに古い古墳群がある。石塚や矢塚などの弥生の墳丘墓と呼ばれるもので、やはり前方後円墳景形をしている。箸墓古墳のすぐそばには、同時期に作られたとされるホケノ山古墳がある。ホケノ山古墳も前方後円墳の形をしている。纏向遺跡では、いくつかの大きな弥生の墳丘墓が築造されたあと、箸墓という最初の巨大な墓が出現してるということである。卑弥呼が女王になったのは紀元180年ごろなので、邪馬台国から初期ヤマト政権の時代に重なる、とされる。相撲神社、崇神天皇陵、黒塚塚古墳、長岳寺、石上神宮が紹介された。

第3回は、橿原・飛鳥の甘樫丘と阿倍山田道です。甘樫丘は頂上から飛鳥一円が眺望できる標高145メートルの小高い丘である。この中腹と麓に。曽我蝦夷・入鹿親子の邸があったと言われているが、大化の改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害した。この位置が。大化の改新の際、中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、土器の年代観、この時期に一致することなどから調査地の上方に蘇我亭が存在していたであろうことが、想定される。今城谷古墳群、畝傍山東北陵、増田岩船、水落遺跡、豊浦宮跡、大管寺跡・石舞台古墳、坂舟石と坂舟石遺跡、山寺跡、阿倍文珠院と安部山田道が紹介された。
≪受講者の意見≫
・好きなテーマでとても楽しく興味深く拝聴しました。飛鳥に行くつもりですので3回目は楽しかった。
・この春飛鳥地方の古墳を訪ね歩きました。今度は山の辺の道も散策したいと思っています。貴重なお話映
像等楽しかったです。ありがとうございました。
・参加者が多く古代史や史蹟に関心のある方の熱意を感じました、これまで奈良への思いは希薄でしたが講義を聞いて、日本人の心の故郷という郷愁を感じました。第3回は、橿原・飛鳥の甘樫丘と阿倍山田道です。甘樫丘は頂上から飛鳥一円が眺望できる標高145メートルの小高い丘である。この中腹と麓に。曽我蝦夷・入鹿親子の邸があったと言われているが、大化の改新によって入鹿が中大兄皇子に倒された直後、蝦夷はその邸に火をかけて自害した。この位置が。大化の改新の際、中大兄皇子が陣取ったとされる飛鳥寺と対峙することや、土器の年代観、この時期に一致することなどから調査地の上方に蘇我亭が存在していたであろうことが、想定される。今城谷古墳群、畝傍山東北陵、増田岩船、水落遺跡、豊浦宮跡、大管寺跡・石舞台古墳、坂舟石と坂舟石遺跡、山寺跡、阿倍文珠院と安部山田道が紹介された。
<安田 善英>
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撮影現場↑