【講座開催日】2025年7月3日・10日

 7月3日・10日の2日間にわたり足立区生涯学習センターにて開催された。応募者44名、受講者41名・延べ受講者70名、であった。講師は足立区地域文化課文化財係学芸員の佐藤悠香氏・増田静香氏の両氏。
毎回、豊富な資料を基に詳しく分かり易く解説されました。

   

 第1回 伊興遺跡・白旗史跡の遺物から学ぶ
第1回は、生涯学習センターにおける座学で、埋蔵文化財発掘についての基礎と足立区北部の遺跡出土品と白旗塚古墳について解説が行われた。第1部として日本の古代の時代区分と特に足立区の遺跡の中心となる古墳時代について解説され、考古学・遺跡・埋蔵文化財行政など、古代史の基本的な学習が行われた。第2部からは足立区内の遺跡について成り立ちや分布が説明された。足立区の地形は下総丘陵・大宮台地・武蔵野台地に3方を囲まれており、残り1方は海が迫っていた。5000年前はほぼ海中にあり、2000年前に伊興周辺は陸地化したと言われている。古利根川・元荒川・毛長川からの土砂が堆積して、自然堤防の微高地ができ、伊興地区に集落ができた。足立区の歴史は古墳時代以降である。遺跡名としては舎人遺跡・法華寺境内遺跡・花畑遺跡がある。舎人遺跡からは方形周溝墓が、法華寺境内遺跡からは線刻土器が、花畑遺跡からは軟質土器の平底鉢や陶質土器の高坏が発見されている。第3部は伊興遺跡と白旗塚古墳で1879年の経塚の発見から始まり、1950年代伊興で3度にわたる発掘調査が行われた。方形周溝墓や須恵器・手づくね土器が発見された。1989年からは4次の調査が行われ、古墳時代のイネの珪酸体・木製農具・井戸枠に転用された舟・朝鮮半島の陶質土器・奈良時代の住居跡・1万点以上の土師器・ウマの遺存体・平安時代の住居跡などが発見された。白旗塚古墳は足立区に残る唯一の古墳で、1991~1992年に1次調査が行われ、円筒埴輪・女子埴輪・男子埴輪・馬形埴輪・銅製耳環等が採集されている。最後に①遺跡は地中にある②発掘調査が必要③開発が進むと全容解明が難しい④調査には関係先の理解が必要と纏められた。  (糸井史郎)
   

 第2回 遺跡を歩く ~伊興遺跡公園展示館・白旗塚史跡公園~ (現地学習)
第2回は、第1回に学んだ出土品や古墳を現地学習で確認した。熱中症予防のため全員バス移動で2グループに分け、Aグループは地域文化課文化財係 学芸員佐藤悠香氏・Bグループは地域文化課文化財係学芸員 増田静香氏に解説して頂きました。

白旗塚史跡公園
①史跡公園として整備されるまで
白旗塚古墳は、城東地区において、現存する稀少な古墳であり、昭50年に東京都の指定史跡となる。
その後に、地元の方々から公園化の強い要望があったため、周辺の地権者と区教育委員会の交渉を経て、昭和62年に公園としてオープンした。(『足立区風土記稿 地区編10伊興』より)
②白旗塚古墳群の指定範囲と甲塚・摺鉢塚
白旗塚と現存していない甲塚・摺鉢塚の推定位置が含まれる直径約250mの範囲が遺跡として指定なっている。[かぶと]・[すりばち]は古墳の形状に似た物として古墳の名称に良く採用されている。
③出土埴輪と後期群集墳の可能性
白旗塚古墳群内での過去の発掘調査では、未知の古墳に伴っていたと考えられる円筒埴輪片が遺跡内の複数地点から発見されており、いずれも6世紀の特徴を持っている。『足立区北部の遺跡群1998』でも記載があるが、周辺一帯に後期群集墳が営まれた可能性がある。
④新編武蔵風土記の記述
江戸時代、白旗塚の墳丘の古松が嵐で倒れた際に根元から出てきた太刀を家に持ち帰り蔵に収めたが、
その後家族も大病したため、祟りと畏れたという謂れが伝わっている。
⑤公園内オブジェ(埴輪・方角の石)
白旗塚史跡公園内には、武人・舟形・家形・馬形の4種類の埴輪のオブジェが設置されているが、武人・舟形・家形の埴輪はこれまでに区内遺跡内では発見されていない。また、東西南北が神代文字(?)で書かれている石×4があるが、当時の公園整備の際に置かれたオブジェであること以外は詳細不明である。

  

伊興遺跡公園展示館
①遺跡として指定されるまで
昭和25年、当時東伊興にお住まいだった故.西垣隆夫氏が多数所有していた収集遺物を故.大場磐雄教授が資料調査したことが契機となって、昭和32年に初めて伊興遺跡内で学術的な発掘調査が行われ、昭和61年に伊興遺跡は遺跡として指定されるに至った。
②足立区内の標高と遺跡分布
足立区は、北~北東部にかけて標高が高く、南~南西部にかけて標高が低くなる傾向があり、低平でありつつも緩やかな傾斜があるというのが特徴。遺跡は、北部に多数分布し、南東部にはほぼない様相が見て取れ、両者の間には密接な関係があることが分かる。
③足立区の縄文時代・弥生時代
縄文時代:縄文海進という温暖な時期が比較的長く続いたため、区内で陸地化していた場所がそもそも少なかったため、人が集住することはなく時が経ったものと考えられている。
弥生時代:弥生小海退という寒冷化の影響とみられる遺跡の減少が周辺地域であったため、区内でも集落が形成されることもなかったと考えられている。
④古墳時代の集落の特徴
弥生時代から古墳時代への過渡期である3世紀末に低地地域への進出(稲作の振興の為とされる)がなされ、現在伊興遺跡に指定されている範囲内でも、もそういった流れの中で集落の形成がなされたと考えられている。主に古墳時代中期の5世紀頃に石製模造品(鏡・勾玉・剣の3種類)や本物の土器の10分の1以下しかない大きさのミニチュア土器などを用いた祭りが盛んに行われた祭祀場であったということ。また、当時のヤマト王権との繋がりが見いだせる須恵器・子持勾玉などの貴重な遺物の出土から関東の中でも要衝として見出されていた場所であることが伊興遺跡の大きな特徴といえる。



<受講者のことば>
・現地で実際に出土したものを見て足立区の昔を想像するのが楽しかった。いにしえから人の営みが続けられていたことを実感した。
・毛長川流域の伊興地域が政治、経済の中心的な役割を果たした遺跡だったことを学びました。
・足立区に住んでいるがこんな歴史溢れる所とは知りませんでした。
・豊富な資料を頂き、史跡見学をして改めて足立区の貴重な遺跡跡を知り感動致しました。

報告担当者所感
今回の講座で紹介された伊興遺跡跡や白旗塚古墳群は、足立区内で唯一現存する貴重な古墳群です。中でも子持勾玉等、大陸との交易や大和朝廷との繋がりを示す重要な遺物も出土しました。かつてはかなり多くの古墳が存在したと伝えられて居ますが、現在、多くの古墳は開墾(かいこん)などによって失なわれ、現在も正確な位置は未確認。開発が進むことによる遺跡調査の難しさや課題も浮き彫りにされました。
足立区北部地区にある遺跡群より出土した貴重な埋蔵文化財を広くあだち区民に発信、周知出来たことが、受講者のアンケート結果からも伺えます。豊富な資料を基に講義された内容はシニア世代の学び直しが出来るのものとして好評価を得られた講座となりました。              (金子勝治)


   

あだち区民大学塾講座 講座開催報告

古代の足立 ~足立区北部の遺跡群~

好評のうちに終了しました

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