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│楽│学│の│会├┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬─┬┤第│165│号│
└─┴─┴─┴┬┘│メ│ー│ル│マ│ガ│ジ│ン│└┬┴─-┴─┘
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楽学の会メールマガジンをお届けします。
今回は「あだち区民大学塾」の新規講座案内はありません。
5,6月の講座実施報告をご覧ください。

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┃も┃く┃じ┃
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◆◆あだち区民大学塾 実施報告(5月、6月)

  ・中世古文書講座 朝廷の文書と天皇の宸翰

  ・戦国時代の足立 武蔵千葉氏と中曽根城・瑞応寺

  ・生誕130年 芥川龍之介の作家人生と家庭生活
  
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      あだち区民大学塾講座 実施報告(5月、6月講座)
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 ★★★★ 中世古文書講座 朝廷の文書と天皇の宸翰
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 5月15日・22日・29日の日曜日に足立区生涯学習センター研修室4で開催
された。講師は高梨真行氏(宮内庁三の丸尚蔵館主任研究官・足立区在住)
応募者は24名、第1回21名、第2回20名、第3回21名で延べ62名でした。
今回の古文書講座は、廷臣である貴族たちの文書:三蹟から小野道風、
藤原行成の文書と天皇直筆の文書:宸翰を読み、その時代の実像を読み解
きます。

第1回 平安朝の政治と天皇・上皇の文書 ~勅・院庁下文
 ・平安朝の政治は律令体制で建前は「天皇」を頂点とするが、文書行政で
あり、実際の政治は大臣・納言が集  団で主導した。
 ・天皇・上皇の文書には、公式(くしき)様文書と下文(くだしぶみ)様
文書があり、それぞれの文書について説明された。公式様文書は天皇の意向
を文書化したもので「詔」と「勅」があり、大和言葉でどちらも「みことの
り」と呼ぶ。下文様文書としては、弁官下文と院庁下文がある。
 ・古文書として小野道風筆の「円珍関係文書」の勅書と「八条院庁下文」が
紹介された。

第2回 中世の禁裏と天皇・上皇の文書 ~綸旨・院宣
 ・鎌倉時代以降の禁裏・院御所とは東国政権の影響下にない場所も残り、
朝廷の幕府の併存状態というのが現実的なあり方であった。
 ・書札様文書は手紙形式の文書のこと。私信であり、月日のみで年を記載
しないため公文書の機能はなく、公文書の補完目的で出されていた。
 ・綸旨(りんじ)は天皇の言葉、綸言(りんげん)を記したもの
 ・院宣(いんぜん)は院(上皇・法皇)意向を、院近臣が承って発給する文書
 ・古文書として伏見天皇綸旨と後柏原天皇綸旨(土佐家文書のうち)が紹介された。 

第3回 公家文書の中の天皇宸翰
 ・宸翰(しんかん)とは天皇自身の筆跡を指すことば。日本書道史上で数多
くの宸翰のうち、伏見天皇や後醍醐天皇など鎌倉時代後期から南北朝時代の宸翰
以降を特に「宸翰様」と称している。
 ・宸翰の種類は、天皇自筆の書状、同写経、仏典、聖教、同和歌懐紙、和歌
色紙、和歌短冊、同詩懐紙、詩色紙、詩短冊、同一大字、一行書、二行書
 ・原則署名しない、料紙は高級なものを使用、引合紙、檀紙(厚めの楮紙)で
色は白色のもの
 ・古文書として花園天皇宸翰書状と花園天皇宸翰書状(国宝 三朝宸翰 のう
ち)が紹介された。

受講者のご意見
・いつも大変興味深く聴講させて頂いています。時代背景の説明は面白いです。
今後も多くの古文書を分かり易く講義して頂けると嬉しいです。
・学術的内容なのでなかなか受講機会が少ないので、ありがたい講座です。
・時代背景とか様々な知識が必要な講座なので、ついていくのが大変でした。
予習が大切だと思いました。
・古文書は初めてでしたが翻刻の説明がありわかりやすかった。
                           (篠原英也)
講座実施報告はこちら↓
http://gakugaku.main.jp/lect/lect01d-220515_chuusei.komonjo.html

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 ★★★★ 戦国時代の足立 武蔵千葉氏と中曽根城・瑞応寺
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 6月2日・9日・16日(木)に足立区生涯学習センター研修室1で開催された。
応募者57名でしたが会場の都合で抽選となり33名に受講券送付した。
第1回31名、第2回31名、第3回30名で延べ92名でした。
 戦国時代の足立区周辺は上杉氏・太田氏系の宮城氏と舎人氏、北条氏系の
武蔵千葉氏の三氏が存在しました。武蔵千葉氏は足立区本木の中曽根城を本
拠としました。中曽根城の発掘調査報告と千葉氏の菩提寺・瑞応寺と中曽根
城址の現地学習で戦国時代の足立を学びました。

第1回 戦国時代の足立と武蔵千葉氏 
      講師:佐藤貴浩氏(足立区地域文化課学芸員)
・鎌倉時代の足立郡の歴史をみると鎌倉初期は足立遠元が治めていましたが
 足立氏が滅んだ後は 1456 年千葉氏が下総国から武蔵国へ逃亡し武蔵千葉
氏が誕生した。武蔵千葉氏の居城が中曽根城だった。平成6年に中曽根城の堀
跡が発見された。東京低地に存在した城として貴重な事例である。
・戦国時代は岩付太田氏の家臣である宮城氏と舎人氏と北条氏に従属していた
 武蔵千葉氏が存在した。足立区域は北条・上杉・里見の大勢力が衝突する境
目だった。武蔵千葉氏は北条氏から養子迎えたがその後は北条氏が秀吉に負け
滅びると武蔵千葉氏も没落、中曽根城も廃城となった。

第2回 足立区唯一の城址 中曽根城発掘調査報告 
      講師:桝沼由可子氏(足立区地域文化課学芸員)
・武蔵千葉氏の城址と伝えられる中曽根城の存在が『新編武蔵風土記稿』(1830年
 成立)に記載されており、「千葉某ノ城蹟ト云所アリ、六丁四方(650m四方)、
 外堀ノ堀、及ビ土居ノ蹟ノミ残レド…」とあり本木村にあると思われていたが、
 平成6年12月に本木2丁目の発掘調査で堀跡を発見し中曽根城の姿が明らかになった。
・中曽根城の範囲は本木2丁目の中曽根神社境内付近(本丸と推定)、白元足立ビル
 周辺である。発掘により中曽根城の郭を巡る濠跡がでた。濠跡は長さ19m幅7m
 深さ1.2mで出土した遺物はカワラケ(古墳時代の土器の系統)、板碑(中世に
 石材を板状に加工した卒塔婆)、獣骨など。また地底探査レーダーで中曽根城の
 復元が進んでおり地積図とあわせて低地を見下ろす中曽根城の威容が想定される。

第3回 現地学習:瑞応寺(夕顔観音)・吉祥院・中曽根神社(城址)
      講師:中島剣山氏(瑞応寺住職)
・武蔵千葉氏関連の寺社、中曽根城址の現地学習を実施した。
「瑞応寺」(武蔵千葉氏の菩提寺)に集合し住職より瑞応寺の歴史を解説頂いた。
1498年開創、観音堂に武蔵千葉氏ゆかりの「月星紋」がつけられ「夕顔観音」と
 呼ばれる聖観世音菩薩像がある。
・「吉祥院」で本木村の開発とゆかりが深く江戸時代の江戸4寺の一つで中本寺で
 立派な寺院である。次は「宝寿院」で武蔵千葉氏の祈願で本尊は不動明王で
 閻魔大王含めた十王像があり死者は十王の裁きを受け来世の場所を定められると
 云われている。
・最後は「中曽根神社」で中曽根城址で発掘により堀跡がでて武蔵千葉氏の居城で
 あることが明確となった。現在は中曽根神社がある。約3時間の散策でしたが
 多くの寺社を見て戦国時代の足立を想い充実した時間でした。

受講者のご意見
 ・戦国時代の足立に興味があったのでとても勉強になりました
 ・足立に住んでいながら歴史について無知でした。
 ・中世における足立のポジションがわかり、ありがとうございました。
                           (福田哲郎)
講座実施報告はこちら↓
http://gakugaku.main.jp/lect/lect01d-220602_sengoku.adachi.html

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 ★★★★ 生誕130年 芥川龍之介の作家人生と家庭生活
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6月6日・20日・27日(月)、足立区生涯学習センター研修室4にて開催された。
応募者は27名、受講者は27名、参加者は第1回23名・第2回24名・第3回22名・合計69名
であった。講師は田端文士村記念館の種井丈氏(第1・2回)と木口直子氏(第3回)。

第1回は「芥川龍之介の生涯と作品」として,明治25年(1892)の芥川の誕生から・学生
時代・新進作家から人気作家へ・体調不良・トラブルと自殺願望・文学論争・昭和2年
(1927)の自殺まで、35年の短くも濃厚な人生が紹介された。大正4~8年の充実した作家
人生と大正9年~昭和2年までの体調を崩した7年間の苦悩が印象的であった。

第2回は「芥川龍之介の交友関係」として夏目漱石・菊池寛・室生犀星・堀辰雄など
小説家を中心とした文化人との交友関係「夏目漱石の木曜会」が紹介された。
特に漱石との師弟関係は大正4年からのわずか1年であるが、漱石は芥川を高く評価し、
芥川は漱石を尊敬していた。 

第3回は「芥川龍之介の生活と家族~芥川龍之介旧居跡地の出土品の解説~」として、
芥川の生活・趣味・嗜好が紹介され、更に田端の芥川の旧居の発掘調査報告が行われた。
田端の家は大正3年(1914)から住み、家族は芥川の亡き後17年居住したが、太平洋戦争
で藤沢に疎開後、昭和19年(1944)6月東京大空襲で焼失した。防空壕から数々の日用品が
発見され、芥川家が使用したものとは限らないが、同時代の人々の暮らしや文化の一端と
してみることができる。北区は旧居の一部を取得し、(仮称)「芥川龍之介記念館」の
開設を準備中である。

講師2人に対するご意見。
種井講師「よかった。大変わかりやすい講義だった。漱石の話の中で、作家の中で三島
由紀夫の脳が一番重かったとか、菊池寛の中で松本清張が芥川の写真を買ってファンだった
というのが意外で、初耳で面白かった。貴重なスライド写真も見られて良かった。」
木口講師「私のこれ迄受講した講義でベストです。受講できて本当に良かったです。
また木口先生の「田端文化村」やあるいは別のテーマの講演に期待します。」
   (糸井史郎)
講座実施報告はこちら↓
http://gakugaku.main.jp/lect/lect01d-220606_akutagawa.html

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  問合せ先:楽学の会事務局 江川武男
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